2016年03月27日

週刊CAMBIO NO.1168

美味しい仕込み味噌 地元の喜多屋醸造店から
600412_1066996210026062_7989441124119525135_n.jpg
仕込み味噌の季節です。岡谷の老舗「喜多屋醸造店」の仕込み味噌をご紹介しましょう。色の白いきりっとした味わいが特徴の喜多屋の「手造り味噌・白」と同じ仕込み方。国産の大豆と米、長崎産の塩で仕込んだ10割味噌。どのタイプも届いたままで寝かせていただける「詰替え不要」。ご注文から2週間ほどでお届けできます。かつて味噌の製造量日本一を誇った岡谷が誇る自慢の味噌をご自宅で寝かせて、手前味噌にしちゃいましょう。

ひと夏寝かせた手造り味噌が1kg830円ですから、仕込み味噌なら仕上がり換算で40%もお得。自分で味噌を仕込みたいけれど、ちょっと忙しくてできなかった方、毎日の食卓に味噌汁が欠かせない方におススメです。
○無添加国産10割こうじ仕込み味噌 段ボール10s 5000円 プラ樽入10s  5500円 
段ボール20s 9800円 プラ樽入20s 10500円


有明海の海苔 厚くて旨味がたっぷり セール価格です
1480496_1063757783683238_6828168712309883535_n.jpg
美味しいという評判を最近よくお聞きするのが、この有明一番摘の焼海苔。九州の有明海の奥、広大な干潟で育った海苔。福岡県柳川市の成清海苔店から。
握ったばかりのまだ温かいおにぎりに、バリッとした海苔をつけて食べると、まずは磯の香りがやってきて、続いて旨味がジワ〜っと湧いてくる。そのジワ〜っとくる旨味が有明一番摘の海苔は強いんです。しかも厚みがしっかりしているから、旨味がしっかりと味わえる。卵の風味と同じように決して強い主張の旨味ではないけれど、敏感な方はその違いをしっかりと味わえるんですね。普段の食卓に欠かせない海苔ですが、日本の料理って、素材が持つこんな微妙な味わいの組み合わせでできているんです。

写真右の2つ切40枚入りは在庫限定でセール。通常750円が特価698円。手巻き寿司やおにぎりに使って、ぜひこの美味しさを感じてください。

人気の割れ煎餅「久助」 いろいろ楽しめてお得
10553487_1065271993531817_3822718239800914629_n.jpg
隠れたベストセラー「久助」であります。お手頃価格でたくさん入ってるし、いろいろな種類が楽しめるお煎餅のハネ出し品。割れたり、欠けたり、ちょっと焦げたりしたものを集めたお徳用袋ですね。煎餅屋さんでは必ずこんなハネ出しが出来てしまうので、昔からどこでも「久助」裏面に続く
という名で売られていました。店主が通った小学校は隣が煎餅工場でしたが、その頃の「久助」は大きな缶に入れて売っていたのを覚えています。授業中にいい匂いがしてきて困りましたけど。
不思議なことに、煎餅って割れたり焦げたりしたものって美味しいんですよね。割れ目から醤油が染み込んでたり、焦げ目からいい香りがしたり。ゴマの煎餅が多いのは割れやすいからなのかな、なんて食べながら考えてしまったり。ハネ出し品ですから、いつでもあるってワケじゃない。わざわざ作るものではないので、安定供給する商品じゃない。流通だって非正規発注だから、いわばナイショの逸品。でも、これが人気でね。1袋400円

★無声映画上映会 良いお席はお早めに★

先週チラシを折り込んだ「弁士・生伴奏つき無声映画上映会」のチケットは、18日から発売されました。画像は21日現在でのチケット販売状況です。真ん中中ほどの良いお席から埋まりつつあります。今回は座席指定で発売しています。観覧ご予定の方はお早めにお求め頂いた方が、よいお席でご覧いただけます。図の左側、オレンジ色の部分は「岡谷スカラ座」で発売分、右側の青い部分は「笠原書店本店」で発売分です。
チケットは前売り2000円、当日は2500円です。お早めに良いお席を確保された方がお安くなります。前回は期日の1週間前にはチケットが売り切れました。当日券分として別途にお席の確保はございませんので、発売状況をご覧の上、お早めにお求め下さい

研ぎ玄のコラム 切れてこそ NO.364 「キレイ」でこそ (16−4)
 道路には多種多様な物が落ちているので、歩いていても一向に飽きることは無い。とは言っても、下ばかりを向いていては「無謀運転者」に衝突される危険性が更に高まるから「視界は常に広く」を心がけている。具体的には「ボーっと視ながら」歩いているのだけれど、これが意外と難しい。つい興味があるものが視界に入ると、それに引き込まれて周りが視えなくなってしまうのだ。まあ、歩行者ならば余程の過密地域でもなければ、立ち止まっても「人様に迷惑をかける」なんて確立は低い。と思いきや、そんなときに限って直後に人がいたりするから、歩行者も「後方確認」は必須だ(滅多にそんな人を見かけないけれど)。何かに気を取られている時は危ないのだ。
 落ちている訳ではないけれど、道路には諸事情で散布されているものもある。洗浄用に撒かれた「水」、滑り止めの「砂」や「消火剤」等々、自転車には「天敵」も撒かれていたりする。はたまた、自動車運転の助けにはなるけれど、車体を傷めつける「塩化カルシウム」も融雪剤として冬場には大量に撒かれる。水溶性の物質だから雪解け水や雨で流され、河川に流入したり土中にしみ込んでいく。環境への影響はさけられないけれど、確かにこれを散布してくれると、運転は楽になるから困ったものだ。そう言えば、野生動物たちにとって「サプリメントの役割を(塩カルが)果たして元気にしている」という話を良く聴くようになったけれど、私の耳に入る位のレベルともなると「相当な影響を与えているのだろう」と想像している。精々、サプリを摂取して元気になった鹿や猪の肉を、不足しがちなタンパク質の供給源(間接的にサプリも摂れる)にし、人間も大いに元気になりたいものだ。とは思うけれど・・・。

CAMBIO店主のコラム 雑言 NO.1168
お彼岸3連休の初日、昼下がりの特急で東京に向った。ひとりで東京に、しかも「あずさ」で行くのは何年ぶりだろう。記憶にないほどだからおそらく10年ぶりぐらいだ。雑誌を1冊買って乗り込んだが、新宿まで窓の外の流れる早春の景色を見続けて、雑誌は一度も開くことがなかった。自分で車を運転しながら見る景色は、さまざまなイマジネーションが湧いてくるので大好きだけれど、もとはといえばこんな列車の車窓にウツツを抜かすところから始まったのだ。白髪の坊主頭になった今も、中身はあまり変わっていない◆東京での用は飲み会だった。飲み会と言ってしまえば大したことではないように聞こえるけれど、自分の中では絶対に行かなくてはならない飲み会だった。40年前にアラスカ・マッキンレーに登った遠征隊の副隊長が、奥さんに先立たれたのでお見舞いの飲み会、兼登頂40周年。高校山岳部のOB会だから、それ以降もあちこちで顔を合わせているけれど、アラスカ遠征隊として集まるのはこれまた記憶がないほどの数十年ぶりだった。隊長はすでに73歳。中心メンバーもみんな60代になり、19歳で参加した私が唯一の50代。40年という年月の経過はそれぞれの頭髪にはっきりと表れていて、むやみに上の角度からカメラを向けると、初冬の湿原を思わせる光景が写ってしまうのだった◆19歳という未熟な少年として参加した私は、この遠征で非常に貴重な経験をさせてもらった。学年がひとつ上の先輩が二人いたので、15歳のころから面倒を見てくれて何から何まで知り尽くされた人たちと一緒だったのだ。副隊長も1年の時から現役担当として鍛えてくれた人だし、個人的にこの人たちは非常に大事な人たちだ。山の合宿や遠征というのは期間中すべての時間を共有するものだから、人間性がすべて表れてしまう。しかも大人になりかけでいろいろ失敗をしでかす年頃の、恥ずかしい出来事を握られてしまっている。だから血が繋がっていない兄貴が5人いるようなものなのだ◆遠征の期間は1か月以上に及んだので、その中では様々な人間関係の軋轢もあった。閉じた世間や空間の中で同じ顔触れだけで過ごすと必ず起きることだけれど、腕力を振るう事態も起きた。それはルート上で一番急峻な雪壁を登り切った、標高5200mの稜線上でのこと。先行隊が残していった雪洞にヤドカリのように収まった晩。些細なことで言い争いが始まり、どちらも譲らなかったので年長者が「表に出ろ!」と言いだした。表と言ったってそこは飲み屋街の路地ではなくて、ちょっと足を滑らせたら1000m以上は滑落するような稜線上だ。隊長は体調を崩して寝込んでいるし、誰も止める間もなくふたりが外に出て、一発が飛び出してコトは収まったらしい。血の気が多い20代が、数週間にもわたって一緒に暮らしていれば当然起きることなのだけれど、場所が場所だけに下っ端の私もハラハラした。40年経つとそんな話も記憶の底の方に沈んでしまっていたが、久々に思いだして笑った◆隊長の胃潰瘍がひどくなったのも、この稜線に出てからだった。雪洞の雪の上にどす黒い血を吐くようになって、尋常な状態ではないことがはた目にも明らかだったが、下りるとは決して言わなかった。稜線を抜けて、広いプラトーのイグルーに構えた最終キャンプでも、隊長は苦しんでいた。下町育ちで気風の良い江戸っ子だが、ここまでのストレスとプレッシャーは並々ならぬものがあったようだ。時間や困難は共有することができるが、体調だけはどうにも助けようがない。頂上へ向かうアタック日の朝、全員が装備を付け終わっても隊長は起き上がることができず、やむなくひとりイグルーに残ることになった。ここまで隊を率いてきて頂上に立てない心中は察するに余りあったが、どうすることもできなかった。というのは今から振り返っての心境で、当時はそこまで他人を慮れるほど大人ではなかったし、何より誰もが高山病と闘いの中にあって自分の体調を保つことで精いっぱいだった◆広いプラトーを突っ切って頂上稜線にとりつく。標高は6000mを超え、息が苦しい。いくつものにせピークに騙されながら、いろいろな旗がはためく頂上に出た。私には意外なほど感動はなく、ただ「ああ終わった」という感慨だけがあった。計画の最初からかかわってきたメンバーは涙を流したり、別の組織で命を落とした仲間の遺品を投げたりしたが、トレーニング山行のサポート隊員から抜擢された私には、何かを成し遂げたという感動は起きて
こなかった。そこから10年後のアコンカグア遠征がはじまるのだが、それが不首尾に終わったことは、胃潰瘍になるまで自分を追い込んで率いた隊長と、そこまでできなかった私との人間としての器の差でもあることに、今更ながら気づくのだった◆飲み会は飼い猫の介護がある副隊長の都合もあって、早めにあっさりとお開きになった。それでも最終の「あずさ」は出た後なので、娘のアパートに転がり込んで一夜を明かし、始発の「あずさ」で店に帰ってきた。9時半過ぎに着いたので、大急ぎで店を開けた。往復6時間と一晩を費やしたが、何が何でも行かなくてはならない飲み会だったのだ。
posted by cambio at 08:33| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。