2016年02月28日

週刊CAMBIO NO.1164

ポラーノ即席ラーメン コシがあってスープも美味しい
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ただいまお付き合いのある流通ルートには、総じて10系統以上のインスタントラーメンがありますが、CAMBIOでは絞りに絞って3系統を扱っています。そのうち、一番おススメしているのがこのポラーノ即席ラーメンのシリーズ。ラーメンの美味しさの要素はいろいろありますが、突き詰めると麺の美味しさとスープの味しかありません。はっきり言って有機だのマクロビだのベジタリアンだのは邪道。コシがあって小麦の香りがする麺と、コクがあって天然の出汁が効いた美味しいスープであることが一番なんですっ! チカラ入っちゃいました。

このポラーノのシリーズのウリは麺が美味しいこと。モンゴル製の天然かんすいを使った麺を冷温乾燥しているので、とにかくコシが強い。油揚げ麺のような独特のにおいがなく、小麦の香りがするんですね。インスタントラーメンでは珍しいことですよ。さらにスープはどのタイプも味付けがすっきりしている。やたらコテコテ系のラーメンが多い中で、このすっきり感は独特。少しスパイシーなところがアクセントで、思わずスープも残さず飲んじゃいます。辛さに弱い人は最後に攻めてくる胡椒の粒をスルーしてください。
すっきり醤油味、ぴり辛みそ味、海鮮塩味、すっきり豚骨の4種類。1食140円とお求め易い価格もおススメの理由。5食入りなら680円。インスタントラーメンとともに育ってきた世代のラーメン好き店主が書いた、思わずチカラが入ってしまう即席ラーメンのおススメでありました。

カラカラコロコロどんぐり形の木の鈴 優しい音色
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どんぐりの形をした木の鈴。ころころと優しい音色がします。木のオカリナ教室を主宰している阿部田美恵子さんからお預かりして、CAMBIOに並びました。さっそく目ざとい方が気に入って、すでに幾つも旅立ちました。店主も秋の山を歩いていて、コナラやミズナラの木の下に来ると、必ずどんぐりを探します。ポケットに詰め込んで帰ってきてレジの周りに転がしておくと、お母さんと一緒に買い物に来たおチビさんたちが「あ〜どんぐりだぁ」と喜ぶので、オマケにあげちゃう。大人の中に残っている子どもの部分は、きっとこんなどんぐりの形をしているはず。
バッグに付けたり、ドアに付けたり、山歩きの熊除けにも良いかも。柔らかな木の音は耳に優しいので聞き続けてもストレスになりにくいでしょう。ストラップの種類によって価格が違います。チロリアンテープが1600円。本革が1800円。

山間の村から生まれる信級玄米珈琲
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玄米珈琲で一躍関心を持ってしまった信級を訪ねてきました。行きたくなったらもう止まらないのです。今は長野市になった信州新町の山間の村。国道19号から5qほど北に向かい、去年の豪雨で崩れた痕があるつづら折れを登った上に広がる集落。かつては麻の出荷で賑わい1000人を超える人が住んでいた集落も、今や100人余りに減り、子どもの数は数えるほどに。
その信級にある築80年あまりの古民家に住み、美味しい玄米珈琲を作っている植野翔さん。信級に住み始めて7年。自分が作らなければ耕作放棄地になるだけの田んぼで稲を育て、周りの山で間伐した木を炭に焼き、その炭焼き窯の余熱で自分が育てた玄米を焙じる。原料からエネルギーまですべて信級で完結させた玄米珈琲なのです。
お会いするまでは山暮らしを志向する自給自足系の人を想像していましたが、実際は街の香りとセンスをまとった人でした。改装が施された古民家も、大工さんだけの仕事ではないなと感じさせるところがありました。それもそのはず、建築を学んでいたそうで、木や山村とのかかわりはそんな経験から生まれてきたのかもしれません。来週は、炭焼き窯と玄米珈琲の関係について。

カリッとした野のものクラッカー クラウドファンディングも
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伊那の長谷という山の中の道の駅で、雑穀レストランを営業している「野のもの」の吉田洋介さん。写真はシコクビエを使った「野のものクラッカー」700円。ほのかに香ってくるシコクビエと小麦の香り。見た目は地味だけど、結構クセになる美味しさ。シコクビエは注目を浴びつつあって、注文に生産が追い付かない状態。その生産を機械化して生産量を増やすために、ただいまクラウドファンディングを立ち上げて資金を募集中。なかなか魅力的なリターンが用意されていますよ。https://readyfor.jp/projects/6986

研ぎ玄のコラム 切れてこそ NO.360 「キレイ」でこそ (15−8)
 「自然」とは「人間が何も手を加えていないこと」を指すのだろうけれど、どうもその辺が曖昧で人間が手をかけて(手出しをして)育てたものが、あたかも自然そのものであるかのようなイメージが造られつつあるように思う。人間が興味本位で足を踏み入れたり、勝手な都合で捻じ曲げた自然は、もう本来のものではなくて「人工的な自然」になってしまう。要するに、もう人間は自然の一部とは言えない生き物(そのくせ、自然の介助なしには生きられない)に成り下がってしまった。だからこそ、際限なく自然の領域を犯すような行為は慎むべきだと考えている。実際に手を下さなくても空気や水を介して自然に影響を与えてしまうのだから、人類が存続可能な環境を残したいのならば、踏み入ってはいけない領域というものがある。とは言っても、自然は人類が居ようが居まいが自然で有り続けるのだから、あちらからすればどうでも良いことなのかもしれない。経済的な側面でしか語られない「人口問題」を地球環境全体の中で考えなくては捻じ曲げた自然に、しっぺ返しをされる。かも。
 最近「森林化」という聞きなれない言葉に出会った。単純に「砂漠化」より人類の役にたちそうに思ったけれど、そうでもないらしい。詳しい事はわからないけれど、長い時間をかけて農地が耕作放棄され森林が増えているそうだ。勿論、農地が荒れ放題だから「里山」だって同様の運命を辿っている。長い時間をかけて自然の一部を拝借し、キレイな人工の自然を守ってきた先人達のように「樹」と対話ができる人にだけ「薪を使う特権」が与えられるような世の中が来れば良いと、常々考えているけれど「経済至上主義」の世の中ではお金を使える人にその権利が与えられるらしい。

CAMBIO店主のコラム 雑言 NO.1164
田舎暮らしの移住先として長野県の人気は高い。いくつかのランキングでは常にトップ3に入り、そのうちの一つでは9年連続でトップだった。東北信には新幹線が走り、東京から2時間以内の範囲だし、諏訪と松本は車でもJRでも3時間以内。山が多くてスキー場や観光地にも恵まれているから、移住先として選ばれる要素に事欠かないのだろう◆私自身も山のそばで暮らし、野菜の生産地に近い街で店を開きたいと思って、24年前に移住してきた。縁もゆかりもない街に突然のように店を開き、全員が何かしらの地縁か血縁のある人しか住んでいなかった地域に、いきなり家を建てて住んでしまった。ところが、ちょっと変わった内容の店だっただけに、なぜこの街に来たのかと毎日のようにお客さんから問われた。家の周辺では畑から南瓜が数個無くなったというだけで、駐在さんが家まで事情を聞きに来た。畑の持ち主が「あの家の車とよく似た車が畑の前に止まっていた。ワケのわからない店で野菜を売っているそうだから、あそこの仕業に違いない」とタレこんだそうだ。そんな話はよくあると聞いてはいたものの、現実に起きたときは怒髪天を衝くような形相になった自覚があった◆そんな地域にも四半世紀近く暮らしていると、それなりに縁というものが生まれてきた。厄年には地域内の同じ年の人たちと一緒に厄投げをしたり、ソフトボールのチームに加わって一緒に飲み歩いたりして、地域の中に少しずつ溶け込んでいった。同じ年に高校を卒業して進学しているので、同時期に東京に街に暮らしていた人も少なくない。年長の人も転勤で都内に住んでいたときのことなどを接点に、いろいろと親しくさせてもらってきた。その後、地域の中には他の町から家を新築して住む人が増えたので、私のようなよそ者は珍しくもなくなった。そして、地域の中の重要な役を私たちの年代が担う時期が近づいてきた。それは大変な役ではあるけれど、四半世紀住んだ者としてきちんと務めようと思う◆私が住む地域は800年余りの歴史がある村で、それなりの苦難を乗り越えて今に至っている。周辺都市に勤めに通える地の利があったので、過疎地域ではなく今も住民が増えている。それでも核になっている関係は農村のままで、地域を保つために住民は一致団結することが求められる。いくつになっても子供の時からの関係が抜けきらず、それをお互いに許し合うことで地域の和が保たれる。言葉には出さないものの、暗黙の力関係や忖度を働かせる関係が基盤にある。それを口語にしてみたのが「いいじゃねえかよ」なのだ◆地域や地縁とは関係性を求められない東京で育ってきた私は、地域という逃げ場のない関係の中ではなるべく「いいじゃねえかよ」に身を任せることにしてきた。というより、そうしなければ対立するだけだから、快いことばかりではなくても身を任せざるを得なかった。他の町では東京と同じ論理で拒否する人もいるらしいが、古い村の中で孤立を選択できるほど私は意志が強くない。だから、やがてやって来る役をこなすためにもうまく折り合いをつけながら地域とかかわっているところに、薪の配達人にその一線を勝手に乗り越えられたようで不快を感じたのだ◆移住者が地域に溶け込めず移住に失敗したケースには、プライバシーが保てなかったことを挙げる人が多い。それはプライバシーというものの感覚が、移住者と地元民では全く違うことに端を発する。それぞれがプライバシーの最小単位として、お互いをなるべく干渉せずに暮らしてきた都会からの移住者と、風水害から自らの地域を共同で守り、田んぼの水引きや道づくりなどに力を合わせて暮らしてきた人たちとは、個人という存在に対しての概念自体が違うのだろう。極端に言えば、移住者が暮らしてきた都会では個人あっての地域だと考えられている一方で、地方の農村部では地域あっての個人だと考えられている。その従属関係の逆転を認識しているかどうかは、最終的に地域の中で暮らし続けていけるかどうかの大きな問題になっていくのだ◆中山間地にある過疎化が進んだ地域では、他所からの移住者を積極的に受け入れるようになってきた。限界集落という言葉が表すように、移住者を受け入れなくては地域の存在自体が限界に達しているところが少なくない。そんな危機に面している地域では移住者は歓迎される。一方で、地域自体が十分に人口を保ちつつ過去からの遺産が十分に機能している地域では、移住者が地域に溶け込むのはいまだに容易ではないのだ。
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