2015年03月25日

週刊CAMBIO NO.1119

第5回岡谷まち歩き古本市 着々と準備進行中

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第5回岡谷まち歩き古本市のポスター図案です。今回は4月29日(水祝)から5月6日(水祝)までの8日間。会場がまたまた増えて計9会場で開催されます。ぜひお出かけ下さいませ。
2年前に3会場で始まったこの古本市が、おかげさまで徐々に広がりつつあります。観光地ではない岡谷の市街地ですが、世界に向けて輸出された絹の街として、東洋のスイスと呼ばれた精密工業の街として、実は社会科の教科書に載っているほどの歴史のある街なのです。今回は「路上観察学会」という街を再発見するイベントもあります。ゆっくりと歩くことで街中に埋もれた歴史を発見することができたら、岡谷はもっと面白くなることでしょう。
CAMBIOの会場には、食べ物や生活、旅、自然をテーマとした古本と新刊がたくさん並びます。出張カフェや店頭での雑穀ハンバーガーの販売も企画中。どうぞお楽しみに。

新登場 喜多屋の仕込み味噌 きりっとした岡谷の味  
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仕込み味噌の季節です。今季は岡谷の老舗「喜多屋醸造店」の仕込み味噌もご紹介しましょう。色の白いきりっとした味わいが特徴の喜多屋の「手造り味噌・白」と同じ仕込み方。国産の大豆と米、長崎産の塩で仕込んだ10割味噌です。どのタイプも届いたままで寝かせていただける「詰替え不要」。ご注文から2週間ほどでお届けできます。かつて味噌の製造量日本一を誇った岡谷が誇る自慢の味噌をご自宅で寝かせて、手前味噌風にしてみませんか。
○無添加国産10割こうじ仕込み味噌 段ボール10s 5000円 プラ樽入10s 5500円
                  段ボール20s 9800円 プラ樽入20s 10500円

★もう少しCAMBIOを知っていただくために 7
田中町の踏切前ではじめた店の床面積は、全部で10坪でした。当初借りる予定だった場所はまだ床もないスケルトンの状態だったのですが、同時期に居酒屋さんが隣に入居することになり、そちらは新たに店を造作するというので、場所をお互いに交換しました。そこにはガラス枠とドアに加え、前6坪、後ろ4坪に仕切った壁があったので、そのまま利用することにしたのです。これだけで結構な工事の費用を浮かすことができました。
後ろの部屋には1坪の冷蔵庫と事務机、在庫用棚を置き、半間の出入り口で店とつながっていました。机で仕事や電話を受けながら、お客さんが来るとレジに立つ、というコンパクトな動線。店は両側の壁に木造で棚を作り、真ん中は野菜の島、奥の壁付きに2ドアの冷蔵、1ドアの冷凍ショーケースという構成。野菜が入りきらないので、いつもガラス戸の外に台を置いて並べていたので、日焼けや傷みが早くて悩みの種でした。

わずか6坪の店にぎっしりと商品が並んだので、通路は1人通るのがやっとの広さ。3組ものお客さんが入ると身動きが取れない。それに、初めてのお客さんが見えると、距離感が近すぎて困りました。なにせ店主がshyなものですから。
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開店当初の加工品棚です。棚は知り合いが劇団の大道具屋さんを紹介してくれたので、大工さんよりだいぶ安く作ってもらえました。ただ、本職ではないのでちょっと素人っぽさがあって、それがまた良いところでもありました。知り合いからは、舞台と違って長く使うんだからしっかりと釘を頭まで打ちこむように言え、と念を押されました。舞台のセットを作るときは、撤収しやすいように釘を半分しか打たないそうです。それでもしっかり8年間は使い、さらに引き出しの箱は、玉ねぎ用として今も現役で働いてくれています。

棚に並んでいる商品を見ると、今もデザインが変わらない息の長いものがいくつかあります。その時代に合わせた、買う人におもねる食べものではなく、昔からの作り方をそのまま続けているものを選んでいるのですから、23年経ってもそのままというのは当たり前なのですね。
小さな店でしたので、商品の在庫を置く場所もなく、このような棚の下に在庫を入れる引き出しを作りました。週3回、東京から路線便で荷が送られてきます。それをターミナルで受け取って、店先で箱からバラして加工品は棚と引き出しに収め、野菜は保冷庫に入れる。初めての冬に、外で荷をばらしているうちに大根が見る見る凍みて、セロリの葉がパリパリになってしまった時は、とんでもないところに来たもんだ!と思ったものでした。

行きつけの畑の野菜をシェアする「LURAの会」と…

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高遠長藤の宇野俊輔さん宅で、今後の取り組みについての打ち合わせをしました。作る人と食べる人が直接手を結ぶ「LURAの会」とCAMBIOがどう連携できるか、という模索。話が弾んであっという間に2時間半が経ちましたが、大体の方向性が見えてきました。
野菜を売ってナンボという商売だけでなく、街と村の交易所という役割をCAMBIOは負っています。街の中で暮らしていながら、近くの農家と作業を共にしてモノとしての交易だけでなく、体験としての交易につなげることができないか、という希望。何度も試みて挫けてきたことですが、ある一線を引くことで可能性が見えてきました。
野菜を出荷してもらう農家とはちょっと違う取り組み方、ひとつの野菜をいくらで売るかという流通とはちょっと違う取り組み方を始めてみようかと思います。どうぞお楽しみに。

研ぎ玄のコラム 切れてこそ NO.315 「キレイ」でこそ (4-1)
 以前に勤めていた会社で、二度ほど白癬菌に侵された経験がある。皮膚科で処方された塗り薬を、足首まで丁寧に擦り込み、完治。その後、水虫にはなっていない。二度目に侵されてからは、会社のスリッパは履かないようにしていたから、おそらく社員の誰かが犯人だと思われる。近年は四季を通して靴下を履く(就寝時も)生活をしているので、入浴時には丁寧に洗うよう心掛けている。洗い方は通常の洗顔と同じ要領で、よくよく泡立てた石鹸で足全体をくまなく、手で擦るように洗っている。これ以外の皮膚は硬めのスポンジで擦り、髪は合成洗剤(使用感と消臭の為)を付けブラシでごしごし洗っている。道具で洗うのが基本だけれど足は優しく手洗いする。
 足だけを手で洗い出したのはここ数年のことで、意識的に歩くようになってからだ。若い時は歩き方の「指標」は「速さ」だった。正しく歩いていれば、当然速く歩けると思っていた。確かに普通の人波で遅れる事はなかったけれど、膝から下の筋肉は疲労度が常に高く「疑問」は残ったままだった。それが解けだしたのは去年の大雪の頃からで、ある程度の「解答」にたどり着いたのは、極々最近になってからだ。まあ、歩き方なんて「変形性膝関節症です」と医者に診断されてから後悔するのが普通だから、自分の歩き方に疑問を持ったりしない。普通の人は「速く歩きたい」とか「遠くまで歩きたい」なんて思わないから「歩き方」なんて検証しないものだ。でも、歩いた結果は筋肉や関節だけでなく「足の裏」にも現れる。足の裏に「タコ」や「魚の目」ができたり、皮が硬くなっていたりしたら「歩き方」や「立ち方」に問題があると疑うべきだ。その為にも、足裏の「触診」は欠かせないものだと思っている。

CAMBIO店主のコラム 雑言 NO.1119
このところ、ある特定のオイルが認知症の予防に効果があるという情報をTV番組が取り上げたため、店頭からえごま油が姿を消したり、ココナツオイルがバカ売れしたりしてちょっとしたパニック状態が続いている。TVがそんなネタを取り上げるのはひとえに番組の注目を集めるためであって、その効果が本当にどれだけあるかということではないのだけれど、その情報で動く人は実に多くて驚いてしまう。えごま油はもともと生産量が多いものではないので、おそらく当分店頭には姿を見せなくなるだろう。いつも買って下さっていた方には申し訳ないことになってしまった◆認知症の予防に効果があるというコピーは、親の介護で苦しんだ人にとっては大変なインパクトがあることは良く理解できる。自分も父親が認知症で大変な一時期を過しただけに。自分たちがそうならないために最大限努力することはお手伝いしたいと思うのだけれど、普段の食生活はそのままにサプリメント感覚でオイルを飲んでも、さて・・・◆先日は八ヶ岳の向こうに遊びに行き、いつも立ち寄る雑貨屋さんで立ち話をしているうちに、認知症の介護の話になってしまった。同居している親族の認知症が進んできて、やがて店を開けることも覚束なくなりそうだという現実は、他人事ではない。認知症とはいえ、親族に思わず乱暴な言葉を履いてしまう気持ちも、それがやがて自責の念となって襲ってくることもよくわかるだけに、つい話に力が入って長引いてしまった。別の日には古本市の相棒からも、親の介護のために東京に通わなくてはならないかもしれない、という話を打ち明けられた。80歳代の親を持つわれらが世代は、誰も彼もが認知症の介護に悩む時代になってしまった。せめて自分は介護を受ける身にならないように、と考えることは至極当然のことなのだ。メダカのように同じ方向を向いて雪崩現象を起こすのがちょっと可笑しいだけで◆自分の父親が認知症を発症した時は、介護をしている誰もがそうだというれど「???」の連続だった。飲んでいた薬の副作用で全身に薬疹が出たため、病院に入院することになったのだが、そのベッドの上で目覚めた時にいきなり「北京はどっちだ?」と言ったことから始まった。「はああ? 北京?!」。それまでにもおかしな言動はあったが、いきなり北京には驚いたし、いよいよ来たかと気づくのに十分なぶっ飛び方だった。戦争で砲兵として中国を転戦したというので、きっとその時の記憶が蘇ってしまったのだろう。その後はカミさんに向かって「姉さんすみませんねぇ、明日は田んぼを手伝うから・・・」と、帰還してから実家で過ごしていた時になった。さらに「なんでこんなところに居なけりゃならないんだ!家に帰る!!」と怒り出して物を投げたりしたので、相部屋から個室に隔離されて出入り口にはストレッチャーを二重に置いてバリケードが築かれた。ふだんはあまり自己主張をしない人だったので家族は驚いたが、それが認知症の現実だったのだ◆病院からはまるで返品のように帰され家が修羅場になるかと思われたが、家に帰ると落ち着いて過ごしてくれた。感情失禁と呼ばれる症状でいきなり子供のように泣き出すことがよくあったが、母が元気だったのでいわゆる老老介護ができたので助かった。さらに持病の腎不全が進んでいて、ドクターからあと数年しか持たないという宣告を受けていたので、カウントダウンの中での介護だった。介護をする人の苦しみのひとつは、いつまでこの状態が続くかがわからないことだけれど、父には悪いがわれら家族にとってはトンネルの出口が見えていたのだ。これがさほど深刻にならずに介護を続けることができた大きな理由だった◆そう言ってもまだ4人の親のうち3人は元気なのだから、いつかまた介護が始まる可能性がある。かつては親が老いても元気であることは喜ばしい限りだった。今は元気であってほしいと願う一方で現実と戦わねばならない。大変な時代になったものだ。
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2015年03月18日

週刊CAMBIO NO.1118

3・11から4年 みれっとファームのお菓子たちの今

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かつてこの辺りでは、CAMBIOでしか手に入らない貴重なお菓子だった「みれっとファーム」の穀物おやつシリーズ。原発事故で富士見に移転して3年余りがたち、着実に信州に根を張りつつあります。お菓子を扱う店舗も増え、今やCAMBIOに始めたお越しになった方から「へえ〜っ、ここにもみれっとファームのお菓子がある!」という声さえ聞かれるようになりました。
砂糖や動物性の材料をいっさい使わず、自分の麦畑で育てた小麦や雑穀たちを使って、固くたってグロテスクだって構わないルックスで押しまくるお菓子です。買い易さだの食べ易さだの、お客さんに媚びることがないところがまた魅力で、一度食べるとハマる人が多いお菓子でもあります。それでも最近は代替わりが進み、頑固な親方からセンスの光る息子の拓未くんが主導権を奪いつつあります。写真の右から時計回りにはみれっとファームが始まった時から四半世紀の人気を誇る「太郎くん」、竹炭を練り込んだ真っ黒けの「竹炭かりんと」、拓未くんが作った全粒粉のスティック「五郎くん」、自家栽培のもち米と古代米のおかき「石井くん」。いずれも350円(税別)。その他20種近いおやつ兄弟。
雪が解けて青々とした麦が育ち始めました。県道沿いの倉庫を改造した工房はちょっと武骨。もっと「ここにもあった!」と言われるように、地元で扱う店が増えることをCAMBIOは願っています。
 
CAMBIOのPB(プライベートブランド)は4兄弟に
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CAMBIOのプライベートブランド(PB)は4兄弟になりました。新たに加わったのは「よくはぜるポップコーン」340円。南箕輪村で有機農業を続けて36年。伊那谷の入植農家の始祖鳥と呼ばれる河崎さんの作。油を敷いた鍋の底に粒が重ならない程度に入れ、よく振りながら強火にかけると、鍋一杯のポップコーンが出来上がり。くれぐれも蓋を忘れずにね。
「風の干しぶどう」と「川又さんの干し芋」はCAMBIOで袋詰めしています。ちょっと誤算だったのは、その袋詰めの手間を甘く見積もっていたこと。干し芋に至っては、もう最終出荷だというので4ケースも発注したものの、全然袋詰めが進んでない!でも、今年は脱酸素剤を入れた密封包装にしましたので、少し暖かくなる時期まで販売が継続できそうです。
他所にはないオリジナルで、美味しさに折り紙つきのPB4兄弟です。どうぞよろしく。

★もう少しCAMBIOを知っていただくために E

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前回までの話が少し硬くなってしまったので、古い写真を基にした昔話に戻します。
写真は開店時に作った木製の看板。今も研ぎ玄側の入口にかかっていますので、見上げてみてください。これまでに2回手を入れましたが、やはり木は生き物なのでどんどん朽ちて行ってしまう。そろそろまた手入れをしなくてはなりません。
作ってくれたのは北杜市に住む木工作家の浦島さん。東急ハンズなどにも出店している、切り文字を得意とする作家さんです。KIVAのお客さんだったことから知り合って、同じころに移住することになったので看板の作成を依頼しました。当初からさすが!という出来栄えで店を飾ってくれています。CAMBIOのLOGOは店主がデザインしました。カタカナをどこにも書かなかったので、何百回も「何て読むの?」とお尋ねを受けましたが。
そのLOGOのラフスケッチを、近所のデザイン会社に持ち込んで仕上げてもらったのですが、その際にマーケティング担当の人から看板のコピーについてアドバイスがありました。LOGOの下に「反農薬有機生産物」とあるのですが、その「反農薬」という部分に、「この辺りの方は保守的な考え方が多いので、反という文字はマイナス効果になる可能性がある」というのです。
ノーテンキな一家は、毎日同じように陽が昇り、東京とそれほど違わない言葉を話し、食べ物はスーパーで同じように売られているのだから、それほど商売も暮しも変わるものではない、と考えて岡谷にやって来ました。でも、そのデザイン会社のアドバイスは、暮らし始めてすぐにはわから右矢印2ない少し深い部分に、ずいぶんと違いがあることに気付くきっかけになったのでした。

びわ葉エキスで上手にスキンケア
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植物が持つ成分をスキンケアに役立てるために、葉を焼酎に漬けてエキスを取り出したものが色々と商品化されています。肌のトラブルなら何でもござれのスーパーエキスなので、1本持っていると何かと助かります。手前の「びわ葉水」(1900円)は、ビワと、アロエ、オリーブのブレンド。「びわの葉エキス」(1800円)は毎月限定3本のみ、奥は瀬戸内Inoriの「びわの葉エキス」(700円)。

研ぎ玄のコラム 切れてこそ NO.314 「キレイ」でこそ (3−2)
 今は「トイレ」と呼ぶ人が多くなったけれど、私が子供の頃は「便所」と呼ぶのが普通だった。ダイレクトに呼ぶのを避ける人は「はばかり」とか「手水(ちょうず)」や、あえてこの言い方をするのが理解できなかった「ご不浄」なんて呼ぶ、ご婦人方もいたりした。当時、古い作りの家を訪れると、縁側のどん詰まりにある「個室」の手前にブリキ製の容器(吊り手水と呼ぶらしい)がぶら下げられ、牛の水飲み用カラン風の先端を持ち上げて手洗いをさせられていた。子供ながらに時代劇で見るような「ひしゃく」で手に水をかけた方が「衛生的」に感じられたけれど、「用便後は手を洗え」の教育が行き届いていたので、止むを得ず指先を僅かに濡らして横にぶら下げられた「手ぬぐい」の乾いた部分を探して指の水分を拭っていた。今でも共用の手拭きを使う際は、乾いていそうなところを探してから、使う習慣は変えられない。
 昔から「トイレ=不衛生」とされて来たからこそ水洗化が進んだけれど、少量の水で手を濡らしたところで、手がキレイになるなんて今は誰も思わない。けれど、神社に詣でる前に手を清める行為の様に「不浄なもの」と縁を切るには「水」は欠かせないものなのだ。逆に言えば、何かを不浄なものと捉えさせたい「誰か」は水で洗う行為を巧妙に用いるから、気を付けなければいけない。確かに水には清潔なイメージがあるけれど、キレイに見える水が清潔とは限らないし、水で濡らしただけではかえって不潔になる恐れさえある。だからこそ、家中で一番大腸菌まみれな場所が「台所」なのは納得できる。食材や手に付いた目に見えない「菌」を増殖させないために、せめて「見た目の汚れ」や「異臭」を、調理器具に残さない習慣を身に付けたいものだ。
CAMBIO店主のコラム 雑言 NO.1118
先週の水曜日は、カノラホールで「まち歩きが、まちを変える」という講演会があった。長崎や大阪などで街歩きイベントをプロデュースしてきた茶谷幸治さんから、街歩きイベントについてのエッセンスをたっぷりと聞かせてもらった。岡谷で街歩きといえばわれらが「岡谷街歩き古本市」だと思っていたのだが、どうやら市や商工会も街歩きを推進しようと動き出したようだ。まちづくりというと大仰に聞こえてしまうが、街歩きは自動詞的なニュアンスが強い。まちづくりには上から目線だと感じることがあるが、街歩きには参加しやすいハードルの低さが感じられる。ちょっと自画自賛過ぎるかな?◆その講演の中でちょっと驚いたのは、全国で街歩きイベントを開催したり、街歩きを推進している自治体がものすごく増えているということだった。ざっと2〜300はあるだろうという。沖縄に至ってはすべての自治体が街歩きを謳っているそうだ。なんだ、オレたちは一歩先んじているぞと思っていたのだけれど、全国でみんな同じことを考えているんだな。自分が見えている範囲だけで「オラホが一番」と思い込むところが地方の課題だと思うのだけれど、何のことはない、自分もそのひとりにすぎなかったのだ。がっくり◆今回の街歩き古本市は会場がさらに増えて9カ所になり、全体としてのエリアも広がった。自分の店や公設美術館などの一角を提供して参加する会場ではなく、古本市が主体となって場所を借りて運営する「特設会場」も、中央通りの空き店舗を借りて設けることになった。回を追うごとに規模が拡大し、新しい試みにトライできることは本当にうれしい。実行委員会にもさまざまなタレントを持った人がかかわってくれるため、打ち合わせを重ねていくとどんどん話が具体化していく。これは泥舟のような小さな店から大きな書店、映画館、公設の美術館がかかわってくれることと、古本屋、古道具屋という多才な人たちが参加している多様性の効果だな、と実感する◆今回の古本市には新たに大きな企画が進行中で、どうやら開催が実現しそうなので楽しみだ。「路上観察学会」というイベントのことで、参加者が街の中でカメラを持って歩き、おもしろい建物や造作物、街の風景や看板などを写真に撮って持ち帰り、全員と講師で講評しあう。それで何がおもしろいのかと思う人が多いだろうが、おもしろいものを探す意図を持って街を歩くと、普段とは全く違う視点から街を見ることができるのだ。岡谷に住んでいない人の目から見た、岡谷の面白さを教えられることもあるだろう。岡谷の街を再発見するような面白いイベントになるはず。つい先ごろ亡くなった作家で画家の赤瀬川原平さんや、茅野市出身の建築家である藤森照信さんが中心になっていたことで知られ、今回はそもそもの仕掛け人である筑摩書房編集者の松田哲夫さんと、写真家の林丈二さんが講師として参加する。参加者50名の募集だが、おそらく抽選になるだろうと思われる期待のイベントだ◆この「路上観察学会」の企画が生まれてきたのは、笠原書店の書店と出版社の密な関係からだった。街の書店が立ち行かなくなって消え、チェーンの大型書店もアマゾンに獲って食われると言う時代にあって、岡谷には独立した笠原書店が街中に大きな店舗を構えている。常々、この古本市に関して説明を求められる時に、岡谷という街の特徴として笠原書店と岡谷スカラ座の存在を挙げることにしている。スカラ座も映画館の衰退、DVDの普及や大型シネコンの台頭という逆風の中で、3Dスクリーンを新設するなど進化している。長野県内でロードショーがかかる映画館は数少なくなっているのに、岡谷の街ではいつでも最新の映画が観られる。だから、笠原書店とスカラ座は岡谷の宝物なのだ。泥舟の八百屋ともども大事にしなくてはなりませんぞ◆まちづくりと街歩きの違いは、言葉のニュアンスや目線の問題だけでなく、具体的な役割の違いだともいえる。権限を伴った長期間にわたる都市計画がまちづくりで、市民が自分の街の行方を考えるきっかけとして始めるのが街歩き。どちらも同じテーブルで意見を交わすのなら、必要になるのは同じ目線の高さだ。街とは成り立ちを遡ってみると人と物が行き交う場所のこと。つまり商店がある場所を街という。どんなにまちづくりをして街歩きをしても、商店がシャッターを閉めていたのではお話にならない。我々商店が元気になれない理由を自分たち以外に求めることはいくらでもできるが、我々商店が元気になるための方法は自分たちにしか作れない。商店が元気であれば街もまた元気になる。商店は街づくりの主役であることを自認するべきなのだ。古本市が岡谷の自発的なまちづくりのきっかけとして作用したら、嬉しい。
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2015年03月15日

週刊CAMBIO NO.1117

第5回岡谷まち歩き古本市は4月29日から5月6日

みなさま、大変お待たせいたしました。第5回岡谷まち歩き古本市の概要をお知らせいたします。
2015年4月29日(水・祝)〜5月6日(水・祝)※一部5月1日から
会場:笠原書店本店、CAMBIO,イルフ童画館、岡谷スカラ座、岡谷美術考古館、心和、Lin、岡谷蚕糸博物館、中央通り特設会場(旧カネマル家具店) 計9会場
出店者:県内、県外の古書店、新刊セレクトショップなど十数軒を予定。
会期中は、各会場が企画するワークショップ、美術館の企画展、古本市が主催する街歩きイベント、講演会などが目白押し。詳しい内容については順次お知らせしてまいりますので、どうぞお見逃しなく。咲き誇る八重桜の並木道でお会いしましょう。

ポラーノ即席らーめん シコシコ麺とスパイシーなスープ
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初の即席ラーメンが発売されたのが1958年ですから、私は即席ラーメンと共に育ってきたような世代です。だから、今も即席ラーメンには目がないし、いろいろとうるさいのですよ。その昭和即席ラーメン世代が絶賛するラーメンが、かつてこのギョーカイにあったのですが、ワケあってルートが断たれて10年ほど。その絶賛ラーメンがこのほど姿を変え、また仲間を増やして復活。
「ポラーノ即席らーめん・すっきり醤油味」。ちょっとゆで時間が長いノンフライめんはコシが強くて、スパイシーで色が浅いスープはコクが深い。これがまた食べられるのは、うれしい。今週より「すっきり豚骨味」も仲間に加わりました。同じシコシコ麺にすっきりながらコクのあるスープ。正統派即席ラーメンとしては、絶対的な存在になることは間違いナシ! ぜひ一度お召し上がりいただけると昭和即席ラーメン世代としては光栄であります。
★あっさり醤油味 1食135円 5食665円
★すっきり豚骨味 1食145円 5食710円



★もう少しCAMBIOを知っていただくために D

吉沢さんの畑に限らず、近在の有機農家の現場を回り、畑を見て野菜を分けてもらう。それがCAMBIOの始まりから今に至るまで変わらないやり方です。今も新たにお付き合いを始める場合は、必ず畑にお伺いして見せていただきます。それは現場を見ることで、その人のことを伝える動機を高めるためでもあります。どんなところでどんなものをどうやって作っているのか。そのリアリティを自分の中に構築しないと、その人の野菜を売る気になれないのです。
とは言っても、一軒の店で売れる野菜の数は知れたものです。大根は1反の畑で5〜6000本を収穫しますが、CAMBIOで売れるのは1週間でせいぜい50本。畑の1%を売ることもできな
いくせに、有機農業の畑を広げたいなどと言うのは大言壮語の部類です。でも、それを自認してしまうと、やっていることは自己満足でしかなくなってしまう。
かつて働いていたKIVAは、その生産量と販売量のミスマッチを宅配というシステムを構築して販売量を増やし、大きく成長して乗り越えました。私にはそのような才覚も資力もなく、のんびりと地方で暮らすこともひとつの目的として信州にやって来た。ならば、有機農業の畑を支持してもらえるように、岡谷という街の中で自分が農家のことを濃密に伝えていくしかない。量的にカバーすることは逆立ちしてもできなのならば、その濃さを深めることを存在理由にすることにしたのです。
写真は、大根畑で出来を自慢する吉沢よっちゃん。     
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祝結婚 福まぶし4色大豆 絶賛販売中 各417円

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大豆にもいろいろありまして、店頭にはただいま4色がそろっております。大豆がなけりゃ味噌も豆腐も作れないんだから、われらが食生活にとって大豆はとってもだいずな、じゃなかった大事な作物なのであります。この4種の中でも黒だけは黒豆と書かれていますが、これも本当は黒大豆。丹波の黒豆は大豆ではないので黒豆ですが、黒大豆も黒豆と書かれるのは、黒豆煮に使うからでしょうか。黒大豆煮じゃサマにならないもんね。信州では青大豆が人気です。青ばた豆やひたし豆にされる方が多いので。ほんのり甘さがあって、生醤油をさっとかけて食べるのも美味です。赤大豆は全国的にあまり生産量がない稀少な豆。旨味が強いので、高級な豆として珍重されてます。
さて、この大豆たちは原村の生まれ。育てた豆っ娘はこの3月にめでたく結婚。ただいま新婚バラ色生活ちう。この大豆たちにも福のかけらがまぶされているかも。今年もきっと色々な豆を作ってくれることと思いますが、豆と同じように相方もだいずにね!

研ぎ玄のコラム 切れてこそ NO.313 「キレイ」でこそ (3-1)
 子供の頃、外で遊んで家に戻っても「手洗い」は滅多にしなかった。勿論、学校でも指導はあったけれど、汚れた手の触れた蛇口が嫌で洗わないことが多かった。泥遊びをした時はさすがに洗い流したけれど、砂場で遊んだ後に洗った覚えはない。今考えれば「不潔」を絵にかいたような生活をしていたけれど、然したる感染症にも侵されず今に至っている。近年、その重要性を説く人は多くなったけれど「帰宅時の手洗い」は、今もって励行されてはいない。とは言っても「意図的に」なのだけれど・・・。
 積極的に「手洗い」をするようになったのは、木工を始めてからだと記憶している。専ら製品への「手垢や汚れの付着防止」が目的だったけれど、手を洗えば「爽快」になる事も体感したのは収穫だった。外出時につり革や手すりに摑まると、何となく掌が不快になってくる。そんな時に手を洗う習慣は、爽快感を覚えてからだけれど「不快感」が伴わなければ、何時まででも洗わずにいる。けれども、以前から刃物を研いだ後は必ず「手洗い」をしているので、就業中の回数は比べものにならないくらい多くなった。と、なれば「手荒れ」に悩まされそうなものだけれど、実際は逆で洗う程に手は綺麗になってしまった。しっかり泡立てた石鹸で洗った後に、良く拭いて乾かし、その都度保湿剤を塗布しているだけで、特別に高いハンドクリームなどは用いていない。のに。石鹸はごく普通の「固形石鹸」、保湿剤も500t千円程度のもので肌に良いとされる弱酸性とか中性ではなく、石鹸よりも強いアルカリを示すものを使っている。ただし、この保湿剤は開発されてから八十年以上も経っている製品なので、安全性は十分に検証されているし、石鹸に関しては改めて言うまでの事は無い。
CAMBIO店主のコラム 雑言 NO.1117
先週は図書館で読みたかった本が3冊も借りられたのでウハウハだったが、毎週イベントがあったり古本市の打ち合わせがあったりで、なかなかおツムの容量に余裕がない。そこで朝4時半から起きて少しずつ読むことにした。アホか!と思う人もいるかもしれないが、酉年だし、もうジジイだし、4時半に起きることなど朝飯前なのだ。ん? 当たり前か。4時半に起きて読み始めても、薪ストーブに火を入れたり、お茶を入れたり、朝飯の漬物を切ったりしているとすぐ5時になってしまうし、5時半には朝飯を食べ始めるので、本を読めるのは30分しかない。結局1冊を読み終えるのがやっとで、2冊は読まずに返すことになりそうだ。この本を借りたかった他の人に申し訳ないなぁ◆朝飯を食べる前に玄関まで新聞を取りに行く。玄関には14歳の老犬が寝ていて、丸まったまま目だけでこちらを見上げてくる。この数か月、その目がいつも目ヤニでただれていて痛々しい。原因は歯周病で歯茎が腫れているからで、きちんと歯の管理をしてあげなかった飼い主が悪い。秋になると農家から頂いたはね出しのりんごや、洋梨の皮を食べさせていたのがよくなかった。糖分の高いものを食べてからすぐに寝てしまうのだから、虫歯になって当たり前だったのだ。子どもたちには歯を必ず磨かせたのに、犬の歯磨きまでは気が回らなかった。気の毒なことをしてしまった◆昨年、別の件で獣医にかかった時に、歯周病がひどいことを指摘されていた。犬の歯を治療するのは大変なのだそうだ。「はい、あ〜んして」と言っても口を開けてくれるわけがないし、痛ければ怒って嚙むし、なんといっても口を閉じただけでこちらが怪我をするような歯だし。どうしても治療するのなら全身麻酔をすると聞いて、その時は見送った。犬は人間のように口を押さえて「歯が痛い〜!」などと言わないけれど、きっと痛くて辛い日々を送っているのだろうから、何とかしてやらねばと思う。もうすでに抜けてしまった歯もかなりあるようで、水を飲むときも横から漏れてしまう。犬にとって歯は敵と戦う最大の武器だし、動物として獲物を食いちぎるために大事な道具なのに、毎日餌をもらえる身とはいえ歯がないのは不自由極まりないことだろう。齢をとって歯の抜けた犬は見るに忍びない。自分も遠からずそうなるかもしれないのだから、他人事ではないぞ◆その老犬をまたいで新聞を取り、読みながら朝飯を食べる。最近はどうも犬だけでなく、我が家で購読している新聞も歯が抜けたようになってしまった。その新聞は、昨年秋に誤報を叩かれて社長が辞任した。寄ってたかって叩く週刊誌の書き方もひどかったが、新聞の対処も下手で、貧すれば鈍するを絵に描いたようだった。さらに、暮れの解散総選挙に際して政権与党からメディア各社が「報道には公平を期すように」などという脅しを受けたおかげで、すっかり歯周病が進んでしまった。まるで、我が家の老犬の如し◆たとえば、国会で首相が質問者に野次を飛ばしても、その野次がまた事実に基づかないことであっても、今の新聞は大きく書けない。政治面に小さな記事で、こんなことがありました、という程度。その程度にしか新聞が書かないということは、多くの読者はその程度のことだとしか思わない。でもよく考えてみると、国会という場でものすごく非常識なことがあったのに、見過ごされているに等しいということだ。新聞の歯が抜けてしまうと、そんな非常識な人たちにはとても都合の良いことになってしまう。それが今、日常的になりつつある◆新聞には、全国に配された記者が起きたことを書き起こして伝える報道という役割と、起きていることの意味を読む人に問う言論という役割がある。起きたことに問題があると思えば、記事を大きくすることで読者に問題の大きさを想起させることができるし、さらに論評を加えることで異議を唱えることもできる。構造的には、いくら記者が書こうが編集が取り上げなければ記事にはならないし、限られた紙面にどのように記事を配するかで全体の論調を作ることができる。だから読者は、その論調によって新聞を選ぶことができるし、実際に今の新聞は微妙ではあるが論調は分かれている。でも、根本のところで歯が抜けつつあり、政治によって歯周病が悪化する薬を飲まされてしまった◆そもそも報道はともかく、言論について新聞はもう死に体だともいわれる。ネットで誰もが発信できる時代にあって、新聞の存在は確かに危うい。でも、新聞というフィルターがなくなった文字の報道を、きちんと分別して読みこなせるリテラシーは、果して世の中にどれだけ育っているのだろう。ネット上で極端なイデオロギーが支持されやすい背景も考えると、メディアを読みこなすリテラシーをもっと身に着ける必要があると思う。くれぐれも長いものには巻かれないように。
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2015年03月04日

週刊CAMBIO NO.1116

人気の干し芋に小袋が登場 100g入り 270円

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柔らかくて甘さ抜群の川又さんの干し芋。蒸かした芋を天日と寒風で干すので、暖かくなってくる3月中旬で今季の製造が終了します。そこで、人気にお応えして、今年は長く販売できるように脱酸素剤入りのパッケージにして新登場。今まで通り300gと500gに加え、おひとり様食べきりサイズの100g袋も作っちゃいました。先行販売してみたら、やっぱり人気。100gならスナック代わりにできるのですね。300gだと食べきった後の罪悪感が深い、500gだとちょっと手が出ない、という声もありましたので。極めて微量ですがセシウムが検出されています。(0.55bq/kg)

ココウェルのココナツオイル 再入荷しました
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どこかのTV番組のおかげで売り切れ状態が続いていたココウェルのココナツオイルに入荷のめどが立ちました。4日(水)に1ケース(12本)ずつ入荷予定。お早目にどうぞ。
 エキストラバージンココナツオイル 436g 3000円 プレミアムココナツオイル 500ml 950円
   
スリランカ製オーガニックココナツオイルは好評販売中

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オーガニックながらリーズナブルな価格の、スリランカ製ココナツオイルは順調に入荷中。
スパイラル・エキストラバージン 300g 1000円 スパイラル・バージン  300g 924円

もう少しCAMBIOを知っていただくために C
前にも書きましたように、私はCAMBIOを開く前の6年間は東京・青梅市にあるKIVAで働いていました。将来的には自分で店を持ちたいという希望があったので、KIVAでは店を担当させてもらいました。当時のKIVAにはトラックの引き売りが2台あり、多摩一円を走り回って野菜と加工食品、生ものを売っていました。トラックとはいえ、1台の売り上げは小さな店1軒分を上回るほどでしたから、その2台分と店を合わせた野菜の販売量は、出荷センターのかなりの割合を占めていました。店の仕事には、それら野菜の在庫管理と手入れの仕事も含まれていたので、野菜と向き合うのが毎日の仕事でした。まだ無農薬野菜と呼ばれていた時代でしたが、畑から採れたままの状態でやってくる野菜たちを、その特性に応じて在庫して手を入れていくことは、大変貴重な経験でした。
野菜はそれぞれに温度や湿度の好みがあり、成分劣化のスピードや呼吸の速さ、傷み始めるサインや品種の違いの見分け方も千差万別です。同じ野菜でも畑の状態や、収穫された日の天気によっても違いがあります。おまけに虫はついてくるし、病気が入っていて在庫している間にどんどん腐ってしまうものがある。そんな野菜と向かいあうのも、一年でようやくひと回り。3年経ってもまだ3回しか経験できません。10年経ったら何とか身に付く修行のようなもの。それは入植して農業を始めた時に、その季節の畑は一年に一回しか経験できないのと同じで、毎年季節になるとやってくる野菜の顔を見て判断するのは、経験を積まなければできないことだったのです。
KIVAという店は、そんな野菜との向き合い方をする店でした。仕事に厳しかったのは、農家から野菜を預かって売っているという意識があったからでもありました。農家が毎日畑と向き合うように、自分たちもまた野菜と向き合う。そんな基本的な考え方が底流にある現場でした。
私がこの仕事をやってみたいと思った原体験には、千葉にある父親の実家で子供のころに農作業を手伝ったことがありました。そこからさまざまな体験を経て、街に住む人と畑との間に立って野菜を売りたい、という動機が膨らんでこの仕事を始めました。それだけにKIVAという店での6年間は、今に至る下地を築くことになる幸福な時間であったのです。
振り返ってみれば、子どものころの原体験が今の仕事に繋がっていたのですが、あれこれ頭で考えた結果とは違って、胸の奥に播かれた種から芽を出した欲求というものは、実に根強いものがあります。分かれ道に差し掛かった時に、頭で考えるのではなく、本能に近い部分で判断してしまうのですから。店が始まってからも、毎週のようにあちこちの農家にお邪魔していました。土を作り、苗を育て、草を抜き、収穫し、箱詰めして出荷する。一連の流れを見るだけでなく手伝っているうちに自然と野菜が育ってくる過程を覚えてしまいました。それは今になって、野菜の状態を見極める上の大きな蓄積となっています。

一般の八百屋がお客さんに野菜を売るために料理法に詳しくなるように、作り方にいわくのある八百屋は野菜が育ってくる過程に詳しくなければならない。規格品とは違う基準の野菜ばかりだから、そのワケを自分の言葉で伝えて理解を得たい。そのためには、現場に足しげく通わなくてはならない。今になってはそんな理由づけができますが、その当時は言葉で考えることはしていませんでした。見たい、行きたい、やってみたい。理由はそれだけ。本能的に突き進んでいたのです。
そんな欲求を受け止めてくれる農家がいたことも幸いでした。KIVAで過ごした6年間のうち3年間、店番としてコンビを組んだ吉沢さんが飯田に入植していたのです。今は伊那谷の有機農家ではパイオニア的存在になっていますが、有機八百屋の日常を教えてくれたのも、有機農業の現場を詳しく知ることができたのも、吉沢さんのおかげでした。
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第5回岡谷まち歩き古本市 企画進行中
さて、あと2か月と迫ってきた第5回。どんな内容にするか実行委員会が毎週打ち合わせを重ねています。今回は春ですので、例年通りに古本一本槍。本好きの方に満足していただけるよう、会場には圧倒的な本の量を揃えて見せましょう。新たな会場も増え、新たなイベントも増えます。「おおっ!」と歓声が上がるようなイベントの企画が進みつつあります。どうぞお楽しみに。

研ぎ玄のコラム 切れてこそ NO.312 「キレイ」でこそ (2)
 食中毒が多い季節と言えば梅雨の頃だと思っていたら、去年の統計に依ればその反対で、五〜七月は最も少ない時期らしい(細菌性はこの時期が最も多い)。とは言っても、医療機関だけの統計だから、正確な数とは言えないけれど・・・。ともかく食中毒の原因で一番多いのは「ウイルス」だそうで約7割にもなるといい、その代表格は「ノロウイルス」という事らしい。このウイルスは人間の体内でしか増殖しないから、体内に取り込まないことが重要だけれど、多少のノロウイルスが体内に入ったからと言って食中毒を発症してしまう「ひ弱な体」を問題視する専門家もいる。確かに、貝を食べてあたる人は昔から多かったけれど、二次感染で「集団食中毒」なんて話はごくごく最近になって起きているような気もする。ノロウイルスを体内で増殖させてしまう人間が増えたのだから、海へ流れ込む総数も増えているに違いない。
 子供の頃「回虫」が体内に住み着いていたことがある。さっそくチョコレート味の虫下しを飲まされて撃退させられた。自覚症状は全くなかったけれど、我が国に於いては人体に悪影響を及ぼす危険性がある寄生虫は、排除すべきだと考えられているらしい。記憶では台所用洗剤(中性洗剤)が登場したころには、野菜もこれで洗っていた。「水で洗うよりも回虫の卵などが落ちやすい」と言うふれこみだったけれど「十分に水洗いをすれば問題ない」ということになり「食器洗い洗剤(野菜は不可)」と呼び名も変わってきた。とは言っても「十分」な洗浄には大量の流水が必要だから「完璧」は有りえない。「生を食す」という事はそれなりのリスクがあることを心得ておかなければいけないし、免疫力を上げるためにも体には適度の負荷が必要だ。

CAMBIO店主のコラム 雑言 NO.1116
ワケあって年が明けてから毎月一度は東京に出ていて、3月はどうやら毎週のように行くことになりそうだ。3月の東京では、信州よりふた足ぐらい早く梅や桜が咲いて、庭先では沈丁花が香り連翹も黄色い穂を垂れる。季節感のない人工都市にあっても、この時期だけは春がやって来たことを街路樹や植え込みの花が知らせてくれる。かつて雪深い春山合宿からそのころ住んでいた東京の家に帰ってくると、街の中にさまざまな花の香りが漂っていて、自分の鼻はこんなに敏感だったのかと驚いたものだった。そのころはまだ花粉症という言葉もなかったけれど、街に花の香りが満ちる頃になると原因不明の鼻水とくしゃみにも悩まされていたので、嬉しくもあり恨めしくもある複雑な季節であった◆山手線のターミナル駅から放射状に延びる私鉄の沿線のひとつに住んでいたが、私鉄の駅は当時の国鉄の駅よりも生活臭があって、駅からまた各方面に商店街が伸びているところが多かった。駅で降りた人たちが家まで歩いて帰る道すがらに店が連なり、人とすれ違い、看板や音や匂いで感覚に刺激を受ける。家から学校なり仕事先までは自分の足と交通機関で移動するのだから、否応なく自分の姿を人目にさらす。他人の装いから刺激を受け、衆目の中での立ち居振る舞いに気を使い、無言の了解の中で袖を振り合う一時を過す。人工的な都市空間に自然環境は少ないけれど、街の中で暮らすことは人間の社会性を学ぶことでもある。都心部の一定な階層の人たちが暮らすマンションよりも、様々な人が暮らす私鉄沿線には、そんな人間社会の縮図があるように思える◆先週は山手線の内側に車を置いて、地下鉄で渋谷に出てヒカリエに寄り、その後は自由が丘に足を延ばした。地下鉄の路線が増え、かつては考えられなかったような行先や経路の電車がやってきて驚いた。ヒカリエにあるレストランに、昨秋CAMBIOで鹿バーガーや鹿ラーメンを作って食べさせてくれた「ざんざ亭」のメニューが出されているので、立ち寄って食事をする。各県を代表する食材を生かした定食があって、賑わっていた。1月に立ち寄った秋葉原でも、全国の県別に名産の食材を集めた「日本百貨店」というJR系の店を見たが、はっきり言っていつまで続くかどうかわからないと感じた。その点、ヒカリエのd47はコンセプトがはっきりしていて見ごたえがあったが、6階までの各階にはあちこちからちょっとだけ面白いものを集めてきました、という品揃え。デパートが行き詰まり、いろいろな店を集めたモールに主流が移っているようだけれど、どこもかしこも同じようなスタイルになりつつある。きっと早晩、飽きられてしまうだろう◆その点、自由ヶ丘はある面で面白かった。東急東横線と大井町線にX字状に区切られた街に、昔からの私鉄駅らしい商店街と、それなりに知られたブランドのショップが入り乱れ、その郊外にフツーの住宅と豪華な邸宅が並んでいる。商店街の狭い道路を、初心者マークを付けたポルシェが走っている街。ヒカリエが人工的に作ったモールであるのに比べて、自由ヶ丘はフラットな路面に展開する生活の店とブランドのショップ。そこはかとなく漂ってくる品性と、鼻持ちならない金持ち臭と、フツーの生活がごちゃ混ぜになって作り出すカオス感。ここもきっと昔に比べれば街のボリューム感は落ちているのだろうけれど、まだ多様性があるだけ希望もある◆自由が丘から渋谷に戻る電車の中では、いくつかの「いまどき現象」を見つけた。出入口のドアの脇に立って無心にスマホをいじってゲームをやっている男性二人は、なぜかほかの乗客と顔を合わせるようにドアを背にして立っている。顔を合わせないように外に向かないのはなぜだろうかと推察してみると、彼らが外を向いて立つとスマホの画面は後ろから丸見えなのだ。30代と50代(!)と思われる二人は、渋谷まで画面から目を離すことも指を一瞬たりとも止めることがなかった。もうひとつは我々夫婦のすぐそばに立つ20代ぐらいの男性が、至近距離で顔を下げもせずにこちらの顔に向かって洟をかみ出したのだ。その音は壮大で不潔感極まりなし。でも本人はちっとも悪びれる様子なし。見たところフツーの男だけれど、実はフツーでないのかもしれないと思うと怖くなってきた◆今の予定ではあと3回は東京に行くことになりそうだ。このところ年に一度か二度しか行かなかったので、街を歩いたりするといろいろな発見をする。すぐに飽きて、しばらく行かなくなるだろうけれど。
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